盆栽は想像の遊び
日本人はイメージすることが得意なのだろうか。
小さな物を何かに見立てて表現することが得意なのだろう。
ちいさな盆栽を前にして何かを考える。
植えてある樹、作り手の意図、鉢合わせ…。
モミジとセキショウ。
何を意図して作られたのか。
実は意図など無いかもしれない。
それでも見る側は何かを受け取る。
里山のモミジだろうか。
夏が終わり、涼しくなる季節感を表したものだろうか。
見る側が何を考えようと自由である。
見入る時間は、自由にイメージする時間。
自然を表現するのなら、庭に樹を植えて自然に任せて伸ばせばよい。
しかし日本人その逆をしてきた。
わざわざ鉢を小さくして樹も小さく作る。
自然を表現するために凝縮していくという矛盾。
盆栽は想像力を豊かにする遊びなのだ。