黒松~それは働く男の味方
「最近の若いヤツは…。」
こんなセリフが多くなってきた盆太。
今の会社も長くなり、現在は中堅の管理職。
ここ最近平成生まれの若い連中に手を焼いている。
そんな盆太が家に帰ると黒松が迎えてくれる。
「いいよなぁ、お前は…。
そこに座ってずっとそのままの姿で。」
盆太は若手に合わせてみたり、時には冷たくしてみたり…。
役職は頂いたものの、はたして自分は務めを果たせているのだろうか。
ベテランの仲間入りをした自分がもっとしっかりしなければと焦る時もある。
そんな世の中にもまれる盆太は、自分の姿とは対照的な黒松に見入る。
そのままの姿。
常緑である黒松は夏でも冬でもいつも変わらない。
「そうか! 変わらぬ姿!」
盆太の心に何かがひらめいた。
「おれがブレなきゃいいんだ。」
無理して若い連中に合わせる必要もないのだ。
「おれの中に筋が通っていればいいんだ。」
先ほどまで悩んでいた盆太の心は吹っ切れたように軽くなった。
明日への希望の光を見出した盆太であった。
「黒松」
それは働く男の味方。
盆栽人は何でも拾う…
ミニ盆栽人は裏庭や道端のものを拾う手癖がある。
習慣となってしまえばこの手癖はもう止まらない。
この悪癖の例を見て頂こう。
庭のサザンカの下に生えていた苗を拾って鉢に植える。
サザンカの生垣の下に生えていたのだから当然サザンカだと思っていたが、花は咲かない実も成らない…。
得体の知れぬものを拾っては鉢に入れてしまう。
何の樹かもわからないのに拾って勝手に喜ぶのだ。
中には狙いを定めて拾うものもある。
実成の秋は種がそこら中に落ちている。
落ち葉や枯れ枝の中から種だけを見極めて拾うという常人離れした技も自然と身に付く。
拾えば拾うほど、盆栽の数も増えていく。
しかし、一度付いた手癖はもはやどうにもならないのだ。
道端でスコップを持ち出してしゃがみこんでは苔を採る。
傍から見ればアヤシイの一言だが、本人は至って本気であり心から楽しんでいる。
「あそこは良く採れるポイントだ」などと自分だけの縄張りすらあったりする。
街や公園、山の中でこういう人を見かけたらそっと見守ってほしいと思います。
「ひょっとしたら盆栽人かも…」とあたたかい目で観察してあげてください。
だって盆栽人は何でも拾ってしまうから…。
そう、「この手が悪いんです。。。」
飾りの出番は年に一度
盆栽は観賞の時間がある。
室内に入れて飾るのはわずかな時間。
花物でも1週間から10日ほどだろうか。
365日のうち、たった10日ほどの表舞台である。
残りの時間は水をやったり、剪定したり。
花が咲くこの時期を心待ちにする日々が続く。
だからこそ、咲いているこの刹那が楽しくもあり愛おしくもある。
この梅、名を「紅筆」と云う。
つぼみが膨らんでくると紅を付けた筆のように見えることからそう呼ばれているようだ。
名付け親は知らないが、粋な心の持ち主だったのではなかろうか。
咲いている間だけが表舞台。
ほんのわずかな時間だが、これほど和ませてくれるものはない。
待った甲斐があったというもの。
出番が終われば舞台裏に下がる。
次回の出番は一年後。
もう少しだけ花姿を楽しむとしましょう。