水やりは樹にとっても、そして盆栽人にとっても必要な仕事
たかが水やり。
されど水やりである。
気温の高い夏場は水切れが心配になる。
鉢によってはよく乾くものもあれば、そうでないものもある。そんな棚場の状況を見回って水くれをする大事な仕事。
盆栽を始めた当初は体調を崩していた時期で、ずっと家にいた。
そのため夏の暑い時期でも鉢が乾けばいつでも水やりできた。
その後、数か月して体調は回復し仕事を始めた。
仕事を始めれば当然昼間の水やりは出来なくなる。
そこで昼間の水やりは家の者に任せることにした。
「水やり当番」の任命である。
仕事が終わり家に帰れば、鉢がちゃんと濡れているかどうかの確認をする。任命した当番がちゃんと仕事をしているかどうか上司のチェックである。
ある日、仕事から帰ってみるとその時間に水やりをしていた。
「え、今から?」
「あ~、ゴメン。忘れとった~」
「・・・」
「忘れとった~」とはなんとも軽妙な宮崎弁である。
しかし忘れとったとは何事か!?
昼間にやってこその水やり当番のはずが、仕事終わりと同じ時間にやっていれば自分がやるのと変わりないではないか…。
「ゴメン」という言葉が入っているものの謝罪の気持ちなど微塵も感じられない。
その翌日、水やり当番を更迭した。
やはり自分でやるのが一番よい。
昼間が心配?
いやいや、二重鉢にしたり、寒冷紗をしたり、やり方は色々ある。
それよりも任せていたはずの仕事を「忘れとった」ほうがよっぽど心配である。人に任せて枯れてしまっては怒りの矛先をどこに向けてよいものか…。
結局、それ以降はどんなに暑い日でも朝と晩だけ自分で水やりをした。
自分でやって、それでも枯れてしまったのなら納得がいくというもの。
樹にとって必要な水やりであるが、
盆栽人にとっても日々の生活の中で必要な仕事なのだ。